引用:http://keiba-umanami.com/archives/52901618.html
皆さんこんばんは!
ハム太郎です🐹
今回は歴代三冠牡馬特集の第3弾としてある1頭を紹介したいと思います!
それは競馬のことを全く知らない人でもおそらく聞いたことのある
"ディープインパクト"
です!!
(併せて第1弾、第2弾も読んでもらえるとより楽しめると思います!)
第1弾
第2弾
3冠牡馬
⑥天翔ける英雄!ディープインパクト!!
父:サンデーサイレンス
母:ウインドインハーヘア
三冠達成年:2005年
生涯成績:14戦12勝(12-1-0-1)
総獲得賞金:14億5455万円
ディープインパクトは言わずも知れた日本近代競馬史上最強の馬と呼び声高い競走馬です。
父はあの大種牡馬"サンデーサイレンス"です。
※サンデーサイレンスは1994年の産駒デビューの翌年から種牡馬ランキング首位(リーディングサイヤー)を獲得し、2007年までの13年間その地位を不動のものとしました。
ディープインパクトのデビューは阪神2000mでした。そのレースには後の金鯱賞、マイラーズカップを制し、安田記念でも2着に入線したコンゴウリキシオーも出走していましたがそのコンゴウリキシオーに4馬身差の圧勝でデビュー戦を飾りました。
続く2戦目は前年に兄のブラックタイドが制覇した若駒ステークスを選びました。
このレースがディープインパクトの本当の実力を証明する歴史的なレースとなりました!
新馬戦同様に単勝オッズ1.1倍というファンからの期待を背にレースに臨み、前走と同じく後方から競馬を進めました。
4コーナーを回って依然先頭から10馬身以上離れた位置から大外を回しての競馬。
誰もが「流石に今回は届かないか」と思った刹那、明らかに他の馬とは脚色の違うスピードで突っ込んできました!!
結局2着に5馬身差かつ若駒ステークス史上最速タイムで勝利しました。
レース後武豊騎手は
「文句のつけようがない」
というコメントを残しています。
若駒ステークス
その後皐月賞トライアルである弥生賞を勝利し、迎えたクラシック初戦皐月賞ではスタート直後落馬寸前の躓きをしてしまうハプニングがありましたが、最後はしっかり追込みを決め1冠目を手にしました!
レース後武豊騎手は後世に残る名言
「走っているより飛んでいる感じ」
というコメントを残しています。
皐月賞
続く日本ダービーでも単勝支持率70%超えという圧倒的な人気を背負いましたが、2着のインティライミに5馬身差をつけ危なげなく勝利を収めました。
勝利後の記念撮影では武豊騎手は指を2本立てて2冠アピールしたのも話題となりました。
日本ダービー
その後秋初戦の神戸新聞杯を完勝し運命のクラシック最終戦、菊花賞を迎えました。
ディープインパクトは近年稀に見る単勝1.0倍の元返しの支持を受けました!
スタート後いつも通りの後方競馬を進めていましたが初の3000mという長距離戦、途中でかかり気味になってしまいましたが、そこは武豊騎手の手腕で馬群に入れることで前に進出するのを抑えました。
4コーナーを回ってからは溜めた足を爆発させ先に抜け出したアドマイヤジャパンを差し切り、2馬身差で3冠目を手にしました!
3冠馬誕生はナリタブライアン以来11年ぶり、
さらに無敗の3冠馬はシンボリルドルフ以来21年ぶり史上2頭目という快挙でした!!
菊花賞
3冠達成後は有馬記念を年内最後のレースとして照準を合わせました。
古馬との初対戦に沸く競馬ファンが年末の中山競馬場に駆けつけ、来場者数は16万人を超えました。
ゲートが開いたレース開始直後、会場が一瞬どよめきました。それは予想とは反した先行策を取った馬がいたからです。
その馬はハーツクライです。
ハーツクライはディープインパクトと同じサンデーサイレンス産駒でディープインパクトより一世代前にクラシック戦線で活躍した馬でした。鞍上は現在大活躍中のルメール騎手でした。
ハーツクライはディープインパクトと同じく後方一気の戦法を得意としており有馬記念でも同じ戦法を取ることが予想されていました。
しかし、ルメール騎手は大一番で先行策をとりました。
4コーナーを回って先に抜け出したハーツクライは後ろから猛追するディープインパクトを抑えて勝利し、ディープインパクトは初の敗戦を味わいました。
国内に敵無しと思われていたディープインパクトの敗戦は競馬ファンだけでなく武豊騎手もショックを受けたようです。
有馬記念(2005年)
敗戦後初戦は翌年の阪神大賞典を選びました。
そのレースでは敗戦前の輝きを取り戻し、2着に3馬身半差で完勝しました。
続く天皇賞春でも1.1倍の圧倒的な人気に支持されて優勝、その後の宝塚記念も同様に1.1倍に推されて優勝を果たしG1 5勝目を果たしました。
その後オーナーの金子氏の意向で次戦はフランスの凱旋門賞に決まりました。
凱旋門賞は近代競馬150年の歴史で日本馬が1度も勝利したことがないレースでしたが、ディープインパクトの圧倒的強さを前に海外メディアもディープインパクトには負けても仕方ないという雰囲気が漂っていたと聞きます。
一般的に海外での前哨戦を経てから凱旋門賞に挑むのが普通ですがディープインパクトは宝塚記念後に直行で凱旋門賞に挑みました。
日本では後方からの競馬をするディープインパクトでしたが、凱旋門賞では前目の競馬を選択しました。終始好位集団に取り付けレースを運ぶと残り1.5ハロンの所で先頭に立ちました。
ここからいつもの末脚が炸裂するかと期待された最中、後方から来たレイルリンク、さらにプライドにも交わされて3位に沈みました。
海外馬場初挑戦が凱旋門賞となったことで馬場に適応することができなかったことに加えレース展開も噛み合わなかったことが敗戦につながったのかもしれません。
日本競馬界の凱旋門賞制覇という夢は儚く散りました、、、
凱旋門賞
さらに追い討ちをかけるように帰国後、凱旋門賞での禁止薬物使用が発覚し、凱旋門賞失格が決定しました。
そんな沈みかけたムードの中、海外帰国後初戦はジャパンカップを選びました。
ジャパンカップでは前年の有馬記念で苦渋を舐めたハーツクライの参戦が決定し、有馬記念以来の直接対決が実現しました。
そのレースでもディープインパクトは1.3倍という人気に推されました。
ジャパンカップではいつも通り最後方で競馬を進め、4コーナーでは大外を回し、一気のまくりを披露、ドリームパスポートに2馬身差を付けて勝利!同時にハーツクライ(10着)へのリベンジを果たしました。
そしてディープインパクトの現役最後のレースである有馬記念を迎えます。
引退レースの有馬記念ではファン投票約12万、単勝支持率70%で単勝1.2倍に支持されました。
有馬記念でもディープインパクトの競馬は健在で道中後方で競馬を進めると4コーナーを回った時点で先頭に、その後は余裕の様子で2着のポップロックに3馬身差で引退レースを勝利で飾りました。
レース後武豊騎手は
「生涯最高のレースができた。今までにないくらい、強烈な『飛び』だった」
というコメントを残しており、競走馬としてここまで活躍してきたディープインパクトを労う最高の言葉を残しました。
有馬記念(2006年)
ディープインパクトは有馬記念制覇によりG1 7勝というビッグタイトルを獲得し、日本競馬界が認める史上最高の競走馬として殿堂入りしました。
4歳という若さで引退しましたが、あの引退レースの有馬記念の完勝を見ると、あの後現役を続けていたらまだまだ勝ち星を増やせていただろうと思う競馬ファンはたくさんいると思います。
しかし、あのタイミングで引退を決断した金子オーナーの決断は素晴らしいと言えます!それはディープインパクトの圧倒的な強さがその子にも受け継がれているからです。
ディープインパクトは2012年から6年連続でリーディングサイヤーを受賞しており、巷では父である大種牡馬サンデーサイレンスを超えたとも言われています!
主な代表馬は牝馬3冠G1 7勝のジェンティルドンナを始め、ダービー馬ディープブリランテ、キズナ、マカヒキ、ワグネリアンなど数え切れないくらいのビッグホースを輩出しています。
これこそ競馬の真髄である
ブラッドスポーツ
と言え、親の遺伝子が確実に子に受け継がれるのが競馬の魅力だと思います!
以上が6頭目の3冠牡馬ディープインパクトの生涯についてです!
記事の文量から分かるようにディープインパクトは本当に"インパクト"のある馬でした!
過去の名馬の軌跡に触れられ今は幸福感に満たされています笑笑
また時間がある時に最後の3冠牡馬について書いていきたいと思いますので、その時はよろしくお願いします!
長文ご愛読ありがとうございました😊